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| 11/07/2004 19:57:48 |
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小笠原京子(脚本)◆さらば、チャールズ |
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習い事といえば、公民館で婦人会のおばあさんたちが教える1回300円の書道と、三軒隣から時折聞こえてくる詩吟だけという町で育った。 オルガン教室やピアノ教室は、比較的金持ちの家の子のお母さんが玄関脇の居間で営んでいて、駅前には若いギター弾きじゃなくて、ニセ傷痍軍人の、やけに悲しすぎるアコーディオンがまだかすかに聞こえた。そんな昭和四十年代のことだ。 鍵盤を習っている女の子はちらほらいたけれど、まだまだ人前で歌ったり踊ったりするのは、恥ずかしいという意識が誰の胸の中にもはっきりとあった。
音楽を、文化を、情操をと叫ばれる影で、大人たちはまだまだ 子どものお腹をいっぱいにすることを、ツードア冷蔵庫を、電気炊飯器を、自家用車を、追いかけていた。
そんな環境の中だから、そばに楽器のできる男の大人がいた記憶がない。唯一あったのが、「大草原の小さな家」のチャールズ・インガルスが家族のために奏でる暖かく、少し貧乏くさい哀しみが漂うバイオリン。それはどこまでも異国の、見たこともない夢の父親の音色だった。それ以来、わたしの中でバイオリンの音色は、少女時代の、どこかバタくさい憧れとなった。
次に出会ったバイオリンはさだまさしだった。 そして、その次に出会ったバイオリンは、 白いシャツに黒のロングスカートをはいた人たちの整然とした音色だった。 チャールズからはじまったバイオリンの音色は、年を経て 高尚で格調高いもの、そんな印象になりかわっていった。
昨日、ザバダックのライブで 壮絶なバイオリン弾きと、 肉や、血や、神経に入り込んでくる 抜き差しならないバイオリンの音色に出会った。 しかもそれは同時に二人も居た。 しかも、二人ともおじさんだった。
斉藤ネコ氏と太田恵資氏。 喧嘩のような、会話のような、レースのようなその演奏ぶり。
音楽を言葉で描こうとするのは、あまりにも陳腐だ。 夜の川崎を歩きながら、清水理沙と 「バイオリンってあんな音が出るんだね・・・」 とだけ、やっと話した。 ちょっと見てはいけないものを見た感じもした。 なぜだかは、わからない。
とにかくわたしの脳に住み着いていたチャールズ・インガルスやさだまさしや、黒と白の人々は、一瞬で跡形もなく消えた。
あの二人のバイオリンは凶器だ。 観客の自意識を一瞬にして吹っ飛ばす、凶器。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そろそろ終わりにしようとしていた稽古場レポートですが、 「空ノ色」先行発売日となったザバダックライブの様子を ひまわりの俳優たちの様子を含め、書き足していきます。
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