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1900年(明治33年)6月29日、フランスのリヨンで裕福な家庭に生まれたアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。
フルネームは「アントワーヌ・ジャン=バチスト・マリー・ロジェ・ドサン=テグジュペリ」だそうです。
4歳のときに父親が急死しますが、母方の叔母の城館に移り住み、母や兄弟姉妹らとともに少年時代を過ごしました。

スイスで学び、その後フランス海軍の兵学校を受験するも失敗。第一次大戦後の1921年(大正10年)に志願し航空隊に入隊します。当初、希望が叶わず地上勤務となった彼は、軍に勤務する傍ら民間の操縦免許を取得し、その後に念願の航空隊パイロットとなりました。ところが墜落事故で重傷を負い除隊、さらに当時のフィアンセから突然婚約を破棄されるという悪い出来事が続きます。除隊後には民間企業へと転職しますが全くうまくいきません。
学生時代の恩師の紹介でようやく航空会社でパイロットに復職し挫折から立ち直った彼は、飛行士として、そして飛行場長として会社の航空路線が延伸されるのにあわせ北西アフリカ、そして南米へと活躍の場を拡げていきます。南米アルゼンチンで妻となる女性コンスエロと出会い、そして結婚。文壇デビューしたのもこの頃でした。
1931年(昭和6年)に2作目の『夜間飛行』が出版され、フランスでも権威あるフェミナ賞を受賞したことで作家としての地位も確立しましたが好事魔多し、在籍していた航空会社が事業縮小、パイロットとしては浪人生活を送ることになってしまいました。
そうした時期に、賞金目当てでパリ→サイゴン間の長距離飛行記録に挑戦し、途中リビアの砂漠に不時着して危ういところを助かった経験が『星の王子さま』を書くためのヒントになりました。飛行士は自分自身、トゲのある美しい花は妻コンスエロがモチーフといわれています。

1939年(昭和14年)に出版された『人間の大地』が大ベストセラーとなり、ジャーナリスティックな仕事にも取り組むようになったその時、第二次世界大戦が勃発します。
飛行教官として軍に復帰するものの現役を望む彼は、何度も働きかけを行い、偵察機パイロットとして前線勤務に戻りました。が、フランスはドイツに降伏。アメリカの出版社からの招きもあり、除隊後にアメリカへ亡命、ニューヨークへ移住しました。そこで執筆し発表された『戦う操縦士』は、全体主義に対するデモクラシー側の回答と大きく評価される一方、亡命フランス人同士によるイデオロギー対立の渦にも巻き込まれていきます。

もやもやを振り払うかのように、再びサン・テグジュペリは安全なニューヨークから北アフリカの戦場へと戻っていきました。とはいえ40代は軍用機パイロットにとっては限界を超えた年齢で、しかも彼は数度の墜落事故の後遺症を患いながら、それまで操縦した航空機とはまるで異なる最新鋭の偵察機を駆って長距離偵察へ出撃していったのです。何がそこまで彼を駆り立てさせたのか、全てをうかがうことは出来ませんが、著書の『戦う操縦士』にその答えが少し見えるような気がします。
いわく「私は『人間』のために戦うであろう。『人間』の敵に対して」
1944年(昭和19年)7月31日、地中海コルシカ島の基地を飛び立ったサン=テグジュペリの操縦するF-5B偵察機は、そのまま戻りませんでした。操縦ミスにより海中に墜落した説が有力で、事実、今世紀になって地中海から彼の乗機も引き上げられました。
でも。
それでも皆信じて疑わないのです。
「彼は、星に戻っていったのだ」と。

『星の王子さま』が世界中で読まれるようになるのは、彼が星に戻っていった後…ファシズムとの戦争が終わってからのことです。

<イラスト>
1枚目:郵便飛行会社アエロポスタル社所有 ブレゲ14改造型
2枚目:リビアの砂漠に不時着した際の乗機 コードロン・シムーン
3枚目:行方不明時の乗機 ロッキードF-5B偵察機

<参考文献>
ウィキペディア サン=テグジュペリの項(日本語)
星の王子さま日本語公式ホームページ など

 

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